春闘討論集会第2部 「安保関連法を廃止に」シンポジウム

yamadakenta

講演する山田さん

「真に公正な報道を」

1月 30 日、北九州市で行われた春闘討論集会の第2部は「安保法はイケン! 憲法違反の安保関連法を廃止に」をテーマに、市民も交えたシンポジウムを開催した。最初に専修大教授の山田健太さん=人文・ジャーナリズム=が、「忖度(そんたく)の時代にどう立ち向かうか~メディアの自主規制が及ぼす危険」と題して基調講演し、シンポジウムに入った。シンポジストは山田さんのほかに、池上遊弁護士=北九州第一法律事務所▽崔春海さん=九州大3年▽福元大輔記者=沖縄タイムス=の3人が加わり、新崎盛吾・新聞労連委員長がコーディネーターを務めた。
池上さんは「原発なくそう!九州玄海訴訟」弁護団の一人。安保法廃止を求める北九州市の団体、個人で構成する「平和をあきらめない北九州ネット」の事務局も務める。若者との連携が遅れ、最近ようやく地元の北九州市立大生と話す機会を得たと述べ、官邸のある東京との違いを認識しているようだった。JR小倉駅前で安保法制反対の街頭宣伝をすると、立ち止まって聞いてくれる人がいる一方、ケンカを売るような反応を示したり完全に無視したりする人もいて、安倍晋三政権の高い支持率につながっている気がするとも漏らした。
崔さんも安保法廃止を求める若者の団体「FYMkita9」のメンバー。アルバイトや音楽活動に明け暮れていた公務員志望の一学生の意識が変わったのは、昨年7月の安保法案衆院強行採決だったという。自分の住む北九州からも声を上げようと、翌月、FYMkita9 を設立した。「私はこう考えます。あなたはどう考えますか?」と自らをさらしながら相手に問いかける。「中心メンバーは5人だから運営上やりたい放題できる面白さがある」と少数派の自由度を笑いながら語った。
福元さんの場合は、足元が日米安保の現場であり、生活と命に直結している。米軍ヘリの墜落や部品落下といった事故件数を具体的に挙げ、軍事的な防衛に傾斜している国防論議に反発する人たちが抗議行動を起こしていると分析した。昨年8月、米陸軍ヘリ墜落事故を紹介、ヘリには陸上自衛隊員2人が乗っており、船を制圧する特殊作戦の訓練をしていたが、中谷元防衛相が「共同訓練ではなく研修だった」と弁明したのは、集団的自衛権の先取りで憲法違反の疑いがあったからである。米軍が自由気ままに沖縄の基地を使っている現実に憤り、「戦争のための訓練に沖縄の人たちは反対している」と福元さんは感じている。そんな思いを歯牙にもかけず米軍基地受け入れを「政府の専権事項だから」と体よく拒否して安保による「平和」を享受する本土の無関心層に鋭い眼差しを向けた。

shuntosimpo

左からシンポジストの池上さん、崔さん、福元さん

市民の二極分化について山田さんはメディアの姿勢に注文をつけた。なるほど、「市民の声」として銀座や新橋を行く人々にインタビューしているようでは世論を正しくつかめない。原稿は同じでも見出し次第で読者の印象度はまるで違ってしまう。山田さんの問いかけに呼応して、ある地方紙の記者が上司の象徴的な意見「特定の意見に偏りすぎず、中立的な報道に努めよう」を紹介。記者は「これは、現場には『右に寄せろ』と聞こえる」と補足した。山田さんはこの「客観中立報道」こそが問題だとした。国の安全と個人の自由・権利の関係はバランスの上で考慮されるべきなのに、国家的利益が優先される風潮が生まれたのは、「公正」の名の下に政権の意向になびく報道が繰り返されたからではないか。戦前・戦中の言論弾圧の反省から検閲も盗聴も憲法で禁止している国は「当たり前」ではないと山田さんは力を込めた。例外条項を設ければアリの一穴のように人権は瞬く間に制限されてしまう。「日本は、世界でほぼ唯一の絶対的表現の自由がある」と重ねて、これを壊されないよう不断の努力を続けるべきだと自覚を求めた。そのためには①言いづらい空気②面倒くさい気持ち③横並び意識――の排除が必要だとし、遠慮のない自由な言論空間が社内になければ「表現の自由」は死滅すると警告。時代とともにメディアが、批判―否定―無用―排斥の攻撃に遭っていると指摘して、それを打ち破るには発表ジャーナリズムからの脱却を含め、地域住民の切迫感、危機感をどう受け止めるかにかかると処方箋を示した。そして「単純なニュートラルではなく、自分の立ち位置をどう示すかだ」と付言した。
安保法案賛否のデモ報道である全国紙は、10 万人単位の「反対」と 100 人単位の「賛成」写真を同等に扱った。見出しも両論併記だ。一見「公正」にかなうように映る。しかし山田さんは、これを「数量公平」と呼び、「根本的に違う」と断じた。もちろん、「賛成」意見を無視せよ、というのではない。弱者や少数派の反論権として質的な「公平」こそが真の意味での「公正」であり、時の政権の意に沿う「賛成」をそこで手厚く取り上げる必然性はない。憲法違反が濃厚な安保法案への疑念にさまざまな層が集う 10 万人の社会的意義と、戦争への危機意識が駆り立てる能動的な姿にニュース性がある。政権や上司の意向に忖度した報道は、良心を失った広報にすぎないだろう。

討論に聞き入る参加者

討論に聞き入る参加者

その点、沖縄の2紙は基地問題を常に大きく扱い、その報道に現政権も神経をとがらせる。福元さんは1面と最終面を区切らない昨年5月 18 日付のラッピング(2連版)紙面を見せながら市民の思いを説いた。「辺野古断念を要求」の横見出しと大きな写真を掲げた県民大会の詳報は本土から見れば「偏っている」かもしれない。しかし、「辺野古の問題はこれ以上許せない、という臨界点に達している」と福元さんは基地担当記者として、毎日現地に通って取材しながら感じている。コンクリートブロックを何百と積み上げ、座り込んでは排除される非暴力抵抗運動を日によっては 1000 人規模で繰り広げるゲート前での状況を、本土紙のように警察発表のまま「不法侵入」と書くことはない。この恒久的な新基地建設が何を住民にもたらすのかを感じ取れば、戦争に加担する紙面づくりはできない。
山田さんも「沖縄タイムス、琉球新報の紙面は熱い。ビンビンくる」と肯定的に評価する。「それだけ自信をもって伝えたいと思うからだ」と続け、部数でも拮抗する2紙が同じような紙面になるのはなぜなのかを突き詰めれば、それは民意との一致という結論に至る。官制用語や行政用語に左右されず独自性を保つこと。基地に限らず、安保、原発など、それは多岐にわたる普遍的な問題だろう。「通信傍受法」「秘密保護法」「安全保障」「憲法改正」……枚挙にいとまがない。山田さんは「日本の新聞は首相や官房長官の言葉をカギカッコで書く。客観中立を装う思考停止に陥っていないか。その言葉をどう評価するのか、そこから現場は生まれる」と締めくくった。

(文・写真は毎日労組提供)

カテゴリー: ニュース