長崎8・8フォーラム 反核・未来へ伝え続ける

核兵器廃絶や平和に向けた報道機関の使命を考える長崎マスコミフォーラムが8月8日、長崎市内であり、全国のマスコミ労組員ら約80人が講演に耳を傾けた。長崎の新聞・放送の労組でつくる「長崎マスコミ・文化共闘会議」が新聞労連と共同開催。今年は、高市早苗総務大臣の“電波停止”発言など、マスコミに対する政権の威圧的言動が伝えられる中での開催。フォーラムでは「安倍政権の暴走を監視し、核兵器の廃絶と恒久平和を実現するための取り組みを続けていく」とするアピールを採択した。今年は「Generation to Generation」と銘打ち、「反核・未来へ伝え続ける」ことを主要テーマとした。フォーラム冒頭、長崎マスコミ・文化共闘会議の西村伸明議長が主催者を代表し「長崎でも政治家などによる威圧が起きている。政権に白紙委任だけはしてはいけない」とあいさつ。同じく主催の新聞労連から参加した小林基秀委員長もエジプトに赴任していた経験から「戦争やテロを身近なものにしてはならない。私たちの姿勢が問われている」と述べた。また、9日には被爆遺構をめぐる恒例の「平和散歩」も開催された。

戦争被爆体験の重要性を考える8日のフォーラムには、被爆者の小峰秀孝さん、第16代高校生平和大使で、被爆3世の広瀬ないるさん、約30年にわたり長崎の被爆者らを取材してきたビデオジャーナリストの関口達夫さんが講演した。
小峰秀孝さんは、4歳8カ月のときに爆心地から1.3キロで被爆し、体中に大やけどを負った。足の甲に残ったケロイドのため真っすぐに歩けずにいじめを受け、就職や恋愛といった社会生活でも差別や偏見に苦しんだ半生を証言。自身の心の闇や自殺を図った経験なども含め、詳細に語った。「傷の痛みと、差別という二重の地獄を味わった」と振り返り、「それでも優しく包んでくれた母がいたからこそ、生き抜くことができた」と語った。また「日本とアメリカでは、まだ原爆に対する理解に大きな差がある」とし、参加者に取り組みの強化・深化を期待した。
広瀬ないるさんは、祖父に「長崎の証言の会」会長代表委員の廣瀬方人さんを持ち、高校生平和大使を務めた。祖父の被爆者としてのコンプレックス、社会とマスメディアの関係を語り、ソフトニュース化・ワイドショー化、若者の新聞離れがマスコミの監視機関としての低下を招いていると指摘した。既にSNSで情報発信をしている地方紙社員には「SNSには若者に影響力の強いオピニオンリーダーがいる。まずは、取り上げてもらう工夫をしては」とアドバイスした。
関口達夫さんは、元NBC長崎放送記者で、現在はビデオジャーナリストとして活躍。自身は熊本県・天草出身で直接の被爆体験はないが、原爆・平和取材で、忘れられない被爆者を取材してきた。証言を聞くことで誰でも「心の被爆者」になることができると語った。また「現在の報道機関には萎縮、自粛が広まっている。マスコミは、亡くなった被爆者に代わり、平和を訴えるべきだ。(現政権に対する)監視の役割を果たせ」と檄を飛ばした。

「長崎原爆犠牲報道関係者の碑」除幕式

長崎原爆で亡くなった報道人を追悼する「長崎原爆犠牲報道関係者の碑」の除幕式が9日、長崎市茂里町の長崎新聞社であった。遺族や全国のマスコミ関係者ら約120人が参列。報道機関として戦争に二度と加担しないことを誓った。
 長崎新聞労組(田中祐作執行委員長)が新聞労連加盟労組や放送関係労組などから寄付を受け建立した。高さ1.25メートル、幅1メートルの御影石製。中央に「非戦」の文字と羽ばたくハトをあしらい、台座には犠牲になった同社5人、西日本新聞社1人、NHK1人の名を刻んだ。
 長崎新聞社と共催した除幕式で、田中委員長は「戦争のためにペン・カメラを取らない、輪転機を回さない、という誓いを共有したい」とあいさつ。当時の印刷工場で亡くなった金子國男さんの義理の娘幸子さん(76)は、遺族を代表し「罪のない人間が妻子を残して、突然に生涯を終えなければならなかった不幸を思うと、原爆の残酷さや投下した者の罪深さを意識せざるを得ない」と述べた。
 除幕し石碑が現れると拍手が起きた。代表者が献花し、全員で犠牲者に黙とうをささげた。

平和散歩も

長崎新聞社から山王神社 被爆遺構をめぐる恒例の平和散歩もあり、山王神社や長崎医科大正門跡など、原爆の威力を今に伝える遺構を見学した。参加者の1人は「(昨年の)被爆70年を区切りに、今は追悼のムードが落ち着いているかと思ったが、どの遺構も見学者が多く驚いた」と感想を話した。平和公園下の被爆者慰霊碑のある爆心地公園で、参加者は11時2分に黙とうをささげ、2日間の日程を終了した。

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