09MIC 長崎フォーラム開催

 8月9日の長崎原爆の日に合わせ、「核のない世界を! 2009MIC長崎フォーラム」が8月8、9日、長崎市内で「核軍縮の行方と被爆国・日本の役割」をテーマに開かれました。全国各地から新聞、放送等の働く仲間があつまり、例年を上回る約130人が参加。被爆問題などに長年取り組んできたジャーナリスト、前田哲男氏の基調講演や被爆者の証言、パネル討論などがあり、核軍縮や報道機関の取り組むべき課題など議論しました。また9日は長崎新聞労組の平和委員らの案内で、原爆投下の中心となった浦上周辺を歩く「平和散歩」が行われ、64年前をしのびながら平和公園・爆心地まで歩きました。

 8日は、地元長崎放送の記者を出発点に、軍事・安全保障問題のフリージャーナリストとして活躍してきた前田哲男氏が「核軍縮はどこに向かうのか」と題して基調講演。長崎放送時代に同僚だった故・伊藤明彦さんの取り組んだライフワーク<被爆者証言を1000人余記録する仕事>を紹介しながら、「ひとつの民族が歴史的な体験をしたという、その生の声、証言を残さなくてはならない、と彼は語っていた。それが後代の日本人のためになる」と被爆報道や証言を次代に残す意味について語りました。また、オバマ大統領のプラハ演説について「戦後12人いる米国大統領の中で、核軍縮をこのように踏み込んで語っているのはJ.F.ケネディとオバマだけ。歴史的な意味はあるが、しかし、そんなに楽観はできない。なぜなら、これまでの核抑止論が想定できない世界になっていることが背景にあるから」と解説。核の均衡による抑止論は相手(米国にとってはソ連)が理性的な判断をすることが前提だったが、今や北朝鮮やパキスタン、イランなどの国々に広がり、これまでの常識が崩壊してしまっているのです。前田氏は「オバマ演説は新しい時代に向けての大きな構想を投げかけた。それを実現させるために日本が何をしなければならないのか。報道に携わるわれわれに課された責務。次第にうすれつつある被爆体験をいかに知らせ、伊藤氏の残したものを受け継いで、どう世論を喚起していくのか、問われている」と訴えました。
「長崎証言の会」代表委員の廣瀬方人さんが登壇、被爆者体験を語りました。爆心地から4.8キロ離れた寺(軍需工場に事務所として提供されていた)に学徒動員で働いていた広瀬さんは「今もあの光がまざまざと思い出される。窓一面がピカっとまぶしく光り、ついでドンという地響きのような音、そして猛烈な爆風が襲ってきた。瞬時に伏せたが、背中にガラスが落ちてきて刺さり血まみれになった。が、不思議と痛さは感じず、それよりも動転して“何が起こったか”という思いが強かった。外に出ると眼前にきのこ雲が広がっていた」と体験を披露。帰ってこない息子を探し回って被爆した伯母が、火傷も怪我もしていなかったのに毛髪が抜け落ち、内出血と高熱で亡くなった話など、放射線の恐ろしさを物語る逸話も。「一口に長崎の被爆死没者は7万4000人と言われるが、それはその年の12月までに亡くなった数でしかない。実際にはそれ以降も、年々被爆の後遺症に苦しみながら亡くなった方が大勢いる」と話しました。
シンポジウムは前田、廣瀬の両氏に加え、中国新聞・ヒロシマ平和メディアセンター長の田城明氏、長崎新聞論説委員の高橋信雄氏がパネリストとなり、朝日新聞論説委員の吉田文彦氏がコーディネーターを務めて開かれました。「オバマ大統領のプラハ演説以降、初のナガサキ原爆の日。今年は少し“希望”を持って迎えられた」「だが、楽観できない面もある。核拡散が進んでしまったがために、核抑止の論理が崩壊しつつある。それが世界の現実」「核軍縮が核廃絶につながるよう、世界の世論を形作ることが必要。オバマジョリティー、すなわち非核を目指す世論が多数(マジョリティー)となること」「高校生がオバマさんを長崎・広島に招く署名活動している。純粋な熱意をもって運動してくれている若者がいることは救い」「依然として、日本政府が米国の核の傘が必要といった姿勢を示していることは残念」「恒久平和の祈りは人類普遍ではないか。被爆者だけでなく、すべての戦争被害、その痛みは忘れられてはならない」といった意見が相次いで出され、活発な議論がなされました。また会場からは報道機関の果たすべき役割や、報道の姿勢などについても注文や意見が出され、それぞれ認識を新たにしました。
フォーラムは最後に「今こそ力強く非核の運動を前進させていかねばなりません。核兵器保有国の首脳には被爆地を訪れ、被爆の実相に触れてと呼び掛けると同時に、日本政府に対しては非核3原則の法制化を求め、核兵器廃絶へのリーダーシップをとることを要請します」とするアピールを採択、同日の日程を終了しました。
9日は「平和散歩」があり、長崎新聞社前を朝9時に出発。爆風に吹き飛ばされた一本柱鳥居、被爆クスのそびえる山王神社、浦上天主堂など被爆遺構をめぐり、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典会場の平和公園・爆心地広場まで歩き、64年前の爪跡を見学しました。原爆落下中心地碑前にて、参加者全員で落下時間の午前11時2分、黙とうをささげ、その後解団式を行いました。

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